の初め 「行く春や 鳥啼 ( なき )魚の 目は泪」 日光 [ ] 4月1日 「あらたふと 青葉若葉の 日の光」 黒羽 雲巌寺 光明寺 [ ] 4月4日 栃木県大田原市を訪れ、城代家老 、俳号 桃雪 4月5日 栃木県大田原市の に禅の師匠であった住職・ 仏頂和尚を訪ねる。
「木啄も 庵はやぶらず 夏木立」 4月9日 栃木県大田原市の修験光明寺に招かれて行者堂を拝する。
「閑さや 岩にしみ入る 蝉の聲」 新庄 [ ] 5月29日 の河港での発句を改めたもの。
さらに本章編・第1弾をここで書くと、おそらく混乱してしまうと思いますので、それは次の機会にしましょう。 本文では「 一笑 ( いつせう )と云うものは、此道にすける名のほのぼの聞こえて、世に知人も侍りしに、 去年 ( こぞ )の冬、早世したりとて、」• の故事にちなんで。 天童のニュース: 「天童市の観光ガイド」は個人が開設している天童市応援サイトです。
4しばらく千歳 せんざい の記念 かたみ とはなれり。
浜(はま)はわづかなる海士 あま の小家 こいえ にて、侘 わび しき法花寺 ほっけでら あり。
早苗 さなえ とる 手もとや昔 むかし しのぶ摺 ずり さとうしょうじがきゅうせき 月の輪 わ のわたしを超(こ)えて、瀬 せ の上といふ宿 しゅく に出 い づ。
「夏山に 足駄を拝む 首途哉」 那須 温泉神社 殺生石 [ ] 4月19日 栃木県那須町のに を偲び、を訪ねる。 天童のニュース:• 企画協力:、、• 花山 かざん の法皇 ほうおう 三十三所 さんじゅうさんしょ の順礼 じゅんれい とげさせたまひて後 のち 、大慈大悲 だいじだいひ の像 ぞう を安置 あんち したまひて、那谷 なた と名付 なづけ たまふとなり。
秋風を耳に残(のこ)し、紅葉 もみじ を俤 おもかげ にして、青葉 あおば の梢 こずえ なおあはれなり。
苔 こけ を穿 うがち て文字 もじ かすかなり。
涼 すず しさを 我 わが 宿 やど にして ねまるなり 這 はい 出(い)でよ かひやが下 した の ひきの声 まゆはきを 俤 おもかげ にして 紅粉 べに の花 蚕飼 こがい する 人は古代 こだい の すがたかな 曽良 そら 山形領 やまがたりょう に りゅうしゃくじ といふ山寺 やまでら あり。
なお、「おくのほそ道」の表記は、諸本のひとつである西村本の芭蕉自筆題簽に基づいています。 卯 う の花の白妙 しろたえ に、茨 いばら の花の咲 さ)きそひて、雪にもこゆる心地 ここち ぞする。
18ところどころの風景 ふうけい 過 すぐ さず思ひつづけて、折節 おりふし あはれなる作意 さくい など聞こゆ。
その周辺が墓地になった光景を見て、芭蕉は永遠の愛を約束しても結局は墓の下に帰すのだと、無常観に浸る。
「羽州(うしゅう)黒山 くろやま 」を中略 ちゅうりゃく して「(はぐろさん)」といふにや。
芦名麻佐子: (ニューヨークの専門学校の留学生)• そのけしき、よう然 ぜん として美人 びじん の顔 かんばせ を粧 よそお ふ。 あつみ山や 吹浦 ふくうら かけて 夕すずみ 暑 あつ き日を 海にいれたり もがみがわ きさがた 江山 こうざん 水陸 すいりく の風光 ふうこう 数 かず を尽 つく して、今 いま きさがた に方寸 ほうすん を責(せ)む。
(しおこしのまつ) 越前 えちぜん の境 さかい 、吉崎 よしさき の入江 いりえ を舟に棹 さおさ して汐越 しおこし の松を尋 たず ぬ。
よもいづれの年よりか、片雲 へんうん の風にさそはれて、漂泊 ひょうはく の思ひやまず、海浜 かいひん にさすらへ、去年 こぞ の秋江上 こうしょう の破屋 はおく にくもの古巣 ふるす をはらひて、やや年も暮 くれ 、春立てる霞 かすみ の空に白河 しらかわ の関こえんと、そぞろ神 がみ の物につきて心をくるはせ、道祖神 どうそじん のまねきにあひて、取 と)るもの手につかず。
あらたうと 青葉若葉 あおばわかば の 日の光 くろかみやま 黒髪山 くろかみやま は霞 かすみ かかりて、雪いまだ白し。
跡 あと に聞きてさへ胸 むね とどろくのみなり。
其後 そののち に雲居禅師 うんごぜんじ の徳化 とっか によりて、七堂 しちどう 甍 いらか 改(あらた)まりて、金壁 こんぺき 荘厳 しょうごん 光 ひかり を輝(かがや)かし、仏土 ぶつど 成就 じょうじゅ の大伽藍 だいがらん とはなれりける。
このたびの風流 ふうりゅう ここにいたれり。