高校を中退したのは1990年代はじめ頃だと思われますが、それから少なくとも2010年頃までは実家に引きこもっていたようです。
平野達彦の父親は、地元では「話好きな性格」の明るい人物として近隣住人から慕われていたようです。
その一環として近隣住人たちの写真をネット上で公開し、「工作員」呼ばわりしていたのだが、それが殺害された被害者たちだった。
今回の事件は完全なえん罪です。
youtubeでも被害者が訴えている内容と同じである。
日本政府がその人体実験のため、自分に電磁波攻撃をしかけていると、平野は思っているわけだ。
本来の使い道は、害獣対策グッズとか軍事兵器です。
裁判員裁判では量刑が従来よりも重くなる傾向があることは知られているが、その一方で2012年に大阪地裁での裁判員裁判で被告がアスペルガー症候群であることを理由として量刑を重くしたことに対して精神障害者団体等から批判があり、高裁では逆に量刑が減らされたことがあった。 高校時代の平野達彦を知る関係者によれば、「高校時代の平野達彦は大人しく、目立たない生徒だった」という事です。 スポンサーリンク 平野達彦被告が裁判で減刑となった理由は? 平野被告に対しては起訴前後に2度の精神鑑定が実施され、いずれも薬を長期間服用したことによる「薬剤性精神病」と診断されています。
17これをきっかけにして、管轄の洲本署は平野達彦の奇行を把握したようです。
第一審判決は「死刑」 公判前には精神鑑定も実施され、「薬剤性の精神障害」という鑑定結果が示されたましたが鑑定人は「精神障害が犯行に与えた影響はなかった」とも回答しています。
「エタという言葉はもう使わないでください」 そう裁判官から言われた平野被告はしばらく考えた後 「同和という言葉では?」 と提案した。
証言台の前に着席した被告は、村山裁判長から「平野被告ですね」と尋ねられると、「はい」と落ち着いた声で返事した。 その後、高裁の職権で新たに精神鑑定が行われ、一審と異なり、妄想性障害だったとする結果が出た。 秋葉原殺傷事件も動機を説明して欲しい。
7もくじ• 公判は終始録音されており、後で書記官が調書に書き起こすことになるのだが、おそらく平野被告の発言は「エタ」を「同和」に書き換えて裁判記録にファイルされるのだろう。
犯人の平野達彦は、高校を中退したあたりから実家に引きこもるようになり、精神疾患を患って妄想を抱くようになり、インターネット上で周辺住人や団体などに対する誹謗中傷を行うようになりました。
そのように荒唐無稽なことばかりを言うのだが、平野の見た目はグレーのスーツと銀ブチめがねが似合う普通のサラリーマン風で、話しぶりも真面目なだけにいっそう異様さが際立った。
平野毅(たけし)さん(当時82)と妻恒子(つねこ)さん(同79)、平野浩之さん(同62)と妻方子(まさこ)さん(同59)、母静子さん(同84)の計5人をナイフで多数回突き刺し、殺害した。 平野被告は「1970年以前から活動している日本国政府工作員」の話を始め、「同和勢力」として部落解放同盟、自由同和会の名前が出た。
1平野被告は27日午前10時過ぎ、白シャツと黒スーツ姿に、眼鏡とマスクを着用して入廷。
平野達彦は、この一人暮らし中の2014年10月15日、「明石署小久保交番」を訪れ「自転車を盗まれました」と被害届を提出しています。
しかし、2017年3月22日の判決公判では、神戸地裁は犯行時における平野達彦の完全責任能力を認め、被告側の主張を退け求刑通り「死刑」を宣告しています。
私も家のすぐ近くに空家があるが、どういう訳か車が頻繁に出入りし、私が外に出ると仄めかしを仕掛けてくる。 話があちこちに飛んで、前後の脈略がないこともあった。
5人刺殺事件の約2年前であり、まだ彼は「被告」の立場ではなかった。
兵庫県・淡路島の洲本市で2015年3月、住民5人が刺殺された事件で、殺人罪などに問われた無職平野達彦被告(45)の控訴審判決が27日、大阪高裁であった。
「淡路島5人殺害事件」の犯人・平野達彦は事件前から異常な言動を繰り返していた 「淡路島5人殺害事件」の犯人・平野達彦(事件当時40歳)は、精神疾患を患って精神刺激薬「リタリン(ADHDなどの治療に使用)」を約5年間にわたって大量に服用した影響で、極端な被害妄想を抱くようになり、事件以前から、周辺の住人らを「サイコテロリスト」「集団ストーカー、テクノロジー犯罪の常習犯」などとTwitterやFacebookなどのインターネット上で誹謗中傷していました。
洲本市中川原町中川原の実家から、フェリーと電車を乗り継いで遠距離通学していたようで、授業が終わればすぐに帰宅する生活で部活にも所属せず、親しい友人もいなかったとの事。 「エタという言葉を5連発した時、3人の裁判官が何やら話していたので、これは何か来るかと思ったら、やっぱり止められましたね」 裁判を傍聴した人はそう語る。 2015年3月9日の午前4時頃、平野達彦は自宅のすぐ近くに住む平野毅さん(当時82歳)宅へと侵入し、離れで1人寝ていた平野毅さんの妻・平野恒子さん(当時79歳)の左胸をサバイバルナイフで複数回刺すなどして失血死させます。
そして、平野被告は律儀にも以降はエタを同和と言い換えた。
記者が困惑するのも無理はない。
「いずれについても争います。
平野被告は公判で、殺害を認める一方、「ブレーン(脳)ジャックで殺害意思を持つよう強制された」と無罪を主張。
この引きこもり生活の中、いずれかのタイミングでインターネットにはまり込んで行ったようです。
家宅侵入し、平気で物やお金を取る連中だから、空家も堂々と使っている。