[ 解答・解説 ] 孫子荊、年少時、欲隠、語王武子、 孫子荊、年少き時、隠れんと欲し、王武子に語るに、 そんしけい、とし わかきとき、かく れんとほっ し、おうぶし にかた るに、 孫子荊は、若いとき、 俗世間を離れて生きたいと思い、王武子に語って、 当枕石漱流、 当に石に枕し流れに漱がんとすべきに、 まさにいしにまくらしながれにくちすすがんとすべきに、 石を枕とし川の流れで口をすすぎたいとするべきなのに、 誤曰、「漱石枕流。
1石で口を漱ぐ理由は、俗世の物を食べて汚れた歯を磨きたいからだ。
王曰、「流可枕、石可漱乎。
【説】 中国晋の孫、楚(そんそ)は 「流れに漱(すす)ぎ石に枕す」と 言うべきところを 「石に漱ぎ流れに枕す」と言ってしまい、 友人に誤りを指摘されたが、 「石で漱ぐのは歯を磨くため、 流れを枕にするのは耳を洗うためだ」 と言い逃れたという故事から。
「この話と、あの人が繋がるのはかなり漱石枕流なことだと思う」 「漱石枕流」は、負け惜しみやこじつけがひどい人を表す時によく使われますね。
『石に漱(くちすす)ぎ流れに枕す /書き下し文』 楚少(わか)き時隠居せんと欲す。
」 王曰はく、「流れは枕すべく、石は漱ぐべきか。
「漱石枕流をする弟は、馬鹿だなあと思うけど憎めない」• 王武子が「流れを枕に?石で口を漱ぐ?できるものか。
」と言った。 王が尋ねた、「 流れを枕にしたり、石で口をすすいだりできるのか。 」と言おうとして、うっかり「石で口をすすぎ、流れに枕するような暮らしをしたいと思っております。
2すると孫子荊は負けじと「流れを枕にするのは俗世間の賤しい話で穢れた耳を洗いたいからだ。
孫楚 (そんそ)はこのような性格のため、なかなか世に出ることができず、王済 (おうさい)だけが彼の真の知己であった。
」孫曰、「所以枕流、欲洗其耳、所以漱石、欲礪其歯。
2012年11月8日 前回の簡単なまとめになりますが,登場人物がほかの登場人物に向けて発するせりふ(微視的コミュニケーションへの情報提示)は,同時に,読者(観客)にも向けて発せられています(つまり […]• 王曰はく、「流に枕す可く、石に漱ぐ可けん乎、」孫曰はく、「流に枕するは、其耳を洗はんと欲し、石に漱する所以は、其歯を礪せんと欲するなり」と。
それを聞いて王済は、 「流れを枕とすることができるかい。
[ 現代語訳 ] 孫子荊は、若いとき、俗世間を離れたいと思い、王武子に語って、 石を枕とし川の流れで口をすすぎたいとするべきなのに、 間違って、「石で口をすすぎ川の流れを枕にしたい。
若いころから能力は高く、天才的な才能を見せていました。 孫曰、「所以枕流、欲洗其耳。 現代かなづかいでもよい。
5」と負け惜しみを言い、とうとう誤りを認めようとしなかった。
王済は、飛び抜けて豪奢 (ごうしゃ)な生活と、それでいて人前で歯に衣 (きぬ)着せぬ剛直な人柄で有名であったが、このため孫楚と気の合う点があったようである。
石で口をのはのものを食した歯をたいからだ。
〔楚 (そ)……、少 (わか)き時隠居せんと欲 (ほっ)し、済 (さい)に謂 (い)いて曰 (いわ)く、当 (まさ)に石に枕 (まくら)し流れに漱 (くちすす)がんと欲すというべきを、誤りて石に漱ぎ流れに枕すと云 (い)う。 」 王曰はく、「流れは枕すべく、石は漱ぐべきか。
7・ 所以~ … ~する理由 ・ 欲~ … ~したいと思う(願望) ・ 其耳 … 俗事を聞いて汚れた耳 所以漱石、欲礪其歯。
」といい返した。
楚曰く、流れに枕する所以 (ゆえん)は、その耳を洗わんと欲するなり。
「石に 漱 くちすすぎ流れに 枕 まくらす」と訓読する。
【出典】 『晋書(しんじょ 』・孫楚(そんそ)伝 晋の孫子荊(孫楚)がまだ若かった頃、 厭世し隠遁生活を送りたいと思い、 友人である王武子(王済)に、 「山奥で、石を枕に、清流で口を漱ぐという生活を送りたい」という所を間違えて、 「石で口を漱ぎ、流れを枕にしよう」と言ってしまった。
この言葉の意味は、「石で口を漱ぎ(すすぎ)、流れを枕にしよう」という意味不明なことでした。
初楚少時欲隠居、謂王濟曰、當欲 枕石漱流、誤云 漱石枕流。
すると孫子荊は負けじと「流れを枕にするのは俗世間の賤しい話で穢れた耳を洗いたいからだ。
石で口をすすぐのは、 世俗の物を食べて汚れた歯を磨きたいと思うからだ。
【現代語訳】• 王曰、「流可、石可漱乎。
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石非可漱。
石に漱ぐ所以は、その歯を厲 (みが)かんと欲するなり、と。